二十四の瞳平和の群像がある土庄港からフェリーで高松港に向かいます。ブロンズ像には子ども達の平和と幸せを求める永遠の願いが込められています。



高松港の近くにある讃岐国領主・生駒家、高松藩主・松平家の居城だった高松城跡は、昭和30年に高松市により玉藻公園(たまも)として整備されました。



高松港の近くにある讃岐国領主・生駒家、高松藩主・松平家の居城だった高松城跡は、昭和30年に高松市により玉藻公園(たまも)として整備されました。
「玉藻」の呼び名は、この辺りが「玉藻の浦」と呼ばれていたことや、万葉集で柿本人麻呂が讃岐の国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに由来するそうです。