和歌山県日高川町に日本一長~~い藤棚があります。その長さは1,646mの藤棚ロード!
山の斜面に緩やかな勾配の藤棚の中を、見ごろになってきた藤を見ながら歩きます。
健脚向けには長~い階段ルートもあるので、トレーニング目的の人はどうぞ(笑)
ゴールの展望台からは、延々と続いている藤棚ロードと集落の眺めは絶景です!
甘い香りと美しい藤を眺めながら歩いて、軽く汗をかくとリフレッシュできますよ♪
藤棚ロードを歩いた後に九度山町にきました。高野山の登山口として、柿の名産地として、真田ゆかりの地として有名ですね♪
慈尊院は、816年に弘法大師(空海)が、高野山参詣の表玄関として伽藍を草創しました。
弘法大師の御母公が「我が子が開いた高野山を見たい」と、香川県の善通寺より訪ねてこられましたが、当時は女人禁制だったため慈尊院で暮らしておられました。このご縁により、古くから女人高野として女性に深く親しまれています。
安産、授乳、育児、乳がん平癒など様々な願いを込めて、おっぱいの特大絵馬が飾られ、参拝者が作ったおっぱい絵馬も奉納されています。
多宝塔の奥の石段を上がると丹生官省符神社です。
慈尊院の見に見側には丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)があります。
弘法大師が慈尊院を開創し、その守り神として丹生都比売・高野御子の二神を祀られました。慈尊院と丹生官省符神社の本殿は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録されています。
ここから高野山壇上伽藍の大塔までは、約22kmの道のりだそうです!
関ヶ原の戦いで敗れた真田幸村が、父・昌幸とともに蟄居した九度山。
幸村はここで14年間という生涯で一番長い時間を過ごした善名称院(真田庵)があります。
大輪の牡丹が香る屋敷跡で、敷地内には幸村が落ちた雷を閉じ込めて村人を救ったという言い伝えが残る「雷封じの井」や、真田宝物資料館などがあります。
これは真田の抜け穴だそうです。実際には古墳のようですが...
真田ミュージアムで、九度山での真田親子の生活をパネル展示と映像により紹介しています。また機会があれば、ゆっくり歩いてみようと思いました。
山の斜面に緩やかな勾配の藤棚の中を、見ごろになってきた藤を見ながら歩きます。
健脚向けには長~い階段ルートもあるので、トレーニング目的の人はどうぞ(笑)
ゴールの展望台からは、延々と続いている藤棚ロードと集落の眺めは絶景です!
甘い香りと美しい藤を眺めながら歩いて、軽く汗をかくとリフレッシュできますよ♪
藤棚ロードを歩いた後に九度山町にきました。高野山の登山口として、柿の名産地として、真田ゆかりの地として有名ですね♪
慈尊院は、816年に弘法大師(空海)が、高野山参詣の表玄関として伽藍を草創しました。
弘法大師の御母公が「我が子が開いた高野山を見たい」と、香川県の善通寺より訪ねてこられましたが、当時は女人禁制だったため慈尊院で暮らしておられました。このご縁により、古くから女人高野として女性に深く親しまれています。
安産、授乳、育児、乳がん平癒など様々な願いを込めて、おっぱいの特大絵馬が飾られ、参拝者が作ったおっぱい絵馬も奉納されています。
多宝塔の奥の石段を上がると丹生官省符神社です。
慈尊院の見に見側には丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)があります。
弘法大師が慈尊院を開創し、その守り神として丹生都比売・高野御子の二神を祀られました。慈尊院と丹生官省符神社の本殿は、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録されています。
ここから高野山壇上伽藍の大塔までは、約22kmの道のりだそうです!
関ヶ原の戦いで敗れた真田幸村が、父・昌幸とともに蟄居した九度山。
幸村はここで14年間という生涯で一番長い時間を過ごした善名称院(真田庵)があります。
大輪の牡丹が香る屋敷跡で、敷地内には幸村が落ちた雷を閉じ込めて村人を救ったという言い伝えが残る「雷封じの井」や、真田宝物資料館などがあります。
これは真田の抜け穴だそうです。実際には古墳のようですが...
真田ミュージアムで、九度山での真田親子の生活をパネル展示と映像により紹介しています。また機会があれば、ゆっくり歩いてみようと思いました。