気ままにフォトスケッチ

お出かけ日記とデジカメ写真のブログです

2011年03月

南朝と五新鉄道の哀しい史話 (3/19)

賀名生には、南朝三帝の行宮となったと伝えられている「賀名生皇居跡」があります。1336年、足利尊氏に追われた後醍醐天皇が京都から吉野に皇居を移す途中に滞在します。後村上天皇、後亀山天皇もここに身を寄せました。今なお当時の面影をとどめる屋敷(現在は一般の民家です)は、重要文化財に指定されています。

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賀名生皇居跡のすぐ裏手に、路線バス専用の道路が一直線に延びています。1937年、五條市から十津川に沿って新宮市までを結ぶ「五新鉄道」の建設が着工されました。ところが、太平洋戦争による資材不足などの理由で工事は中断されましたが、戦後工事が再開され、1959年に五條-城戸間の路盤工事が完成しました。ところが、経済社会情勢の変化などで、五新鉄道の夢は叶うことなく廃止が決まりました。
そこで、国鉄(JR)バスが運行していましたが、2002年にJRバスも廃止され、現在は五條市の委託を受けて奈良交通がバスの運行しています。(この道路を通るバスは1日数本で、ほとんどはR168を走っています)
都を追われた公家たちと幻の五新鉄道敷設の史話。儚くも壮大な夢の舞台に立つと、ちょっぴりさびしく感じました。

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☆賀名生皇居跡へは
 JR和歌山線「五条駅」下車、奈良交通バス約20分 「賀名生和田北口」下車すぐ
 近鉄「大和高田」下車、奈良交通バス約60分 「賀名生和田北口」下車すぐ

満開の賀名生梅林 (3/19)

南朝ゆかりの「賀名生梅林」を訪ねてみました。

五條市から新宮へ続く”五新国道(R168)”を南下すると、10分ほどで梅の香り漂う南朝の里「賀名生(あのう)」に到着します。
昔、この地は「穴生(あなふ)」と呼ばれていましたが、後村上天皇は南朝が正統でありたいと「叶名生(かなう)」と名付けられました。1351年に足利氏が南朝に帰順し、多くの公卿や殿上人が賀名生に参候したことから、後村上天皇は「願いが叶ってめでたい」と、「賀名生」と改められました。その後、明治の初めになって呼び方を「あのう」に統一されました。

この地に賀名生梅林があります。丘陵を麓から中腹まで広がる広大な梅林で、2万本の梅が植えられています。満開の梅花が雲海のように続き、ほのかな香りが漂っていました。
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700年前の南北朝時代に公家たちによって賀名生の梅の花が歌に詠まれているところから、この頃には梅が咲き誇っていたようです。吉野の桜のように、「口の千本」「一目万本」「見返り千本」「東雲(しののめ)千本」「奧の千本」などの看板が掛けられていました♪
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☆賀名生梅林へは
 JR和歌山線「五条駅」下車、奈良交通バス約20分 「賀名生和田北口」下車すぐ
 近鉄「大和高田」下車、奈良交通バス約60分 「賀名生和田北口」下車すぐ
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