気ままにフォトスケッチ

旅行やお出かけの日記とデジカメ写真のブログです

さつき咲く京都の庭園  -拾翠亭- (6/4)

拾翠亭は、五摂家のひとつであった九条家の別邸として、茶会や歌会などに使用された公家屋敷で、江戸後期に建てられました。
数寄屋風の書院造りで二層からなり、屋根の頂には一対の鯱と九条家の家紋を形どった鬼瓦が置かれています。

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広間の東側には九条池(勾玉池)を配し、雅な雰囲気を醸し出しています。「拾翠」の名前には、緑の草花を拾い集めるという意味が込められており、平安時代に貴族が野辺で草花を摘んだ習わしに因んで名付けられました。
ここは大きな百日紅が美しい茶室です。もちろん今はさつきが美しかったけど、ぜひ真夏に咲く百日紅を見にきてね♪

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☆拾翠亭へは
 地下鉄烏丸線「丸太町」下車、すぐ

 *拾翠亭は、3月から年末の金・土と、京都御所の一般公開日などに公開されます。公開日が少ないのでご注意!

さつき咲く京都の庭園  -安楽寺- (6/4)

「安楽寺」は、松虫姫、鈴虫姫にまつわる悲劇の舞台です。
法然上人の説法に魅了された後鳥羽上皇の女官である松虫姫と鈴虫姫が、御所を忍び出て法然上人の弟子の住蓮・安楽両上人に出家を申し出ます。二僧は上皇の許可が必要として思い止らせようとしますが、両姫の思いに心を動かされ、住蓮は松虫姫を、安楽は鈴虫姫を剃髪しました。
両姫の出家を知った後鳥羽上皇は激怒し、法然上人を讃岐へ、弟子の親鸞聖人は越後国へ流刑。住蓮・安楽は死罪となりました。
両姫は瀬戸内海に浮かぶ生口島の光明防で念仏三昧の余生を送り、松虫姫は35歳、鈴虫姫は45歳で往生を遂げたと伝えられています。
こんな悲しい歴史をもつ安楽寺は、かわいい山門や本堂が迎えてくれます。

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境内は通常は非公開ですが、桜~さつきと紅葉の季節に限り、特別に拝観ができます。昨日はその最終日でした。
山門をくぐると境内にはさつきがきれいに咲いていました。そして、可愛い本堂がちょこんと建っています。この本堂で30分おきにお寺の由来などを話してくださいます。

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本堂での話を聞いた後、書院でゆっくりくつろげます。書院裏の庭園もさつきがきれいでした。
優しい住職が、今年は気温が低かったため開花が遅れたけれど、美しく咲いてくれましたとおっしゃっていました。

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☆安楽寺へは
 市バス「真如堂前」下車、徒歩10分
 通常は非公開のため、事前に公開日を調べる必要があります

さつき咲く京都の庭園  -詩仙堂- (6/4)

2週連続大雨のためお出かけできずうずうずしていましたが、久しぶりに晴れたので、さつきが美しい京都の庭園を訪ねてみました♪

「詩仙堂」は、石川丈山が1641年に造営し、31年間隠棲した庵です。
丈山は90歳で没するまで、ここで清貧を旨とし、聖賢の教えを自分の勤めとしていたそうです。老梅関の向こうに見える窓枠の形を見るだけでわくわくします♪

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詩仙堂の名の由来は、中国の漢晋唐宋の詩歌三十六人の肖像を狩野探幽に描かせ、図上にそれ等各詩人の詩を丈山自ら書いて四方の壁に掲げた「詩仙の間」を中心としているとこらから呼ばれています。
時折獅子脅しが響く静かな庭園を眺めていたら、肩の力がすーっと抜け、穏やかな気持ちになれます♪

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庭園には大きなさつきの刈り込みがあって、美しい満開の花が迎えてくれました。

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さつきに囲まれた石段を下ります。ふり返ると嘯月楼と美しいさつきが見事に調和しています。贅沢に流れる時間を感じます。

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庭園にはさつきやあやめが咲いています。のんびり散策を楽しみました♪

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☆詩仙堂へは
 市バス、京都バス「一乗寺下り松町」下車、徒歩10分

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